My Backbone 本と映画と音楽と ~「小清水 志織」こと Yくんのリクエストに応えて~ 


  『日常生活の冒険』(大江健三郎 著。1967<昭和42>年 初版。新潮社 刊)


※このホームページの「脚下照顧」のコーナーから

大江健三郎逝く(2023年3月3日)。家の本棚には『日常生活の冒険』(1967年発表)と『大江健三郎 作家自身を語る』(2007年発表)の

文庫本だけが残っている。大学生の時、高田馬場の古書店で「前期作品集」を買い求め、中野のアパート「中山荘」で読み耽っていたのが

懐かしい。過去・現在、そして未来の自分と対話するような「オエケン読み」を、いつか再開して再会したい。 2023.3.14


※1993(平成4)年1月14(29歳の誕生日)付けの文章(初任校大聖寺高校2年5組のホーム通信「你・Go!~君は行く~」第36号より)

 20歳の頃、のめり込むように大江健三郎の小説を読んでいた。神田の古本屋で作者の「初期全作品集」を幸運にも入手できたのだ。

特に、作家がやはり20代の最後の時期に書き下ろした長編『日常生活の冒険』を、その中のいくつかの文章を諳(そら)んじることが

できるようになるくらいに繰り返し読んだ。

 作家自身の投影である「ぼく」と、やはりやがて失われようとする作者自身の青春の投影であろうと思われる、年下の若い友人、斎木犀吉

のふたりが、《死と死後の虚無のイメージから逃れる》べく、《巨大な日常生活の恐怖と闘う》物語。

 引用① 斎木犀吉が「ぼく」の自己欺瞞(ぎまん)を解明しようと、熱情的に語る場面。

 「われわれ人間はAの瞬間の自分を否定して、あるいは乗りこえて、Bの瞬間の自分になり、そしてまたCの瞬間の自分へ向かってジャンプ

する、というタイプで存在しているのだろう? それはサルトルがうまく書いていることさ。おれは《存在と無》なんか読んでみもしないが、きっと

そうだと思うよ。ところがきみは、その若さで、もうすでに、このタイプの生き方を恐がって尻尾をまいているのさ。日本のマス・コミがきみのため

につくったきみ自身の亡霊にいつも似通っていようとして、きみは一切ジャンプもしなければ、別の次元での自分のことを空想してみもしないんだ。

ところが人間は本来さっきいったタイプでしか存在しないのだから、きみはじつは自分の存在に逆らって生きているのさ、それを俺は自己欺瞞と

いっているんだなあ!」

 引用② 上の言葉に対する「ぼく」の反論と、斎木犀吉のカウンターパンチ。

 「きみはこれからどうするつもりなんだ? もし地球が明日滅びてしまうのでないとしたら、明日の夕暮までは、きみの家族にたいしてきみは責任

があるだろう? こんな夜警なんかできみはあの人と暮らして行けるのか?」とぼくは詰問するように叫んでいた。「きみはもう子供じゃないんだぞ、

結婚しているし、もう二十二歳にもなっているんだろう? のんびり瞑想して、世界の終末の空想におびえて、そして夜警なんかしていていいのか?」

 「ああ、おれは二十二歳で夜警だよ、ここにつとめて今夜で六十日目だ。そして結婚している」と余裕にみちて斎木犀吉はこたえた、かれは昂奮した

ぼくを興味深げに見つめながらしゃべった。「二十二歳、それがどんな年齢かおれは知っているよ。きみはマヤコーフスキイを読んだことがあるかい?

かれは自殺してしまったんだが、ほんとうは自殺したくなかったんだ、なぜならこんな詩を書いているからね。

    この世では、死ぬるはたやすいこと
    生きてゆく方が、はるかにむずかしい。

 そのマヤコーフスキイが二十二歳のとき、《ズボンをはいた雲》という詩を書いたのさ、そして二十二歳ということの意味を語っているんだ。それを

知っているかい?

    ぼくの精神には一筋の白髪もないし、
    年寄りくさいやさしさもない!
    世界を声の力で撃ちくだき、
    ぼくは進む、美男子で、
    二十二歳。

 こういうふうに歌っているんだなあ。ズボンをはいた雲というのは二十二歳のマヤコーフスキイ青年自身のことだし、おれはおれ自身のことだといいたいのさ!

おれはマヤコーフスキイのような詩を書きはしないが、しかし自分がズボンをはいた雲だということは信じているんだ。おれはいつかきっとなにか新しいこと

を、いかにもおれらしくやるだろうという予感をもっているんだよ。そのおれが夜警をしながら、《おれ自身の時》とまっていてなぜ悪いんだ? しかも、おれは

怠けてはいない。つねに自分のモラルについて瞑想しては、カードやノートをつくっているんだぜ、そうじゃないか? おれはやがて、すばらしい冒険をするだろう!

もし、そのときまで、この世界が滅びなければの話なんだが!」

 20代最後の1年を迎える今読み返してみると、この小説を書き上げた当時の作者の気持ちが少なからず分かるような気がする。 「日常生活の冒険」を追求する

ことで、「死と死後の虚無のイメージから逃れ」て「精神の若さ」を維持しながら「モラリスト」であり続けようとする決意。
 
 冒険とは、必ずしも非日常であるとは限らない。待つことは、必ずしも消極的であるとは限らない。

 日常の中に冒険を! 待つことを積極的に!


☆ 補足のための引用

 「知ってるだろう? 《花咲ける木》という絵だ、アルルの春のはじめの咲いたばかりのハタンキョウだよ、雪が地面にのこっているだろう? ゴッホは従姉の夫の

モーヴという俗物と喧嘩していたんだが、そいつが死んだとき、モーヴの思い出のために、と書きこんで、あのとてもきれいな絵を従姉におくったのさ。従姉もモーヴも

ゴッホの絵の美しさなんがばかにしていた筈なんだがなあ。ゴッホは夢中になって悲しんで、自分の弟には死んだモーヴを悼む詩まで書いておくったのさ」

(中略)

   死者を死せりと思うなかれ

   生者あらん限り

   死者は生きん 死者は生きん


(中略)斎木犀吉はぼくあての最後の手紙にこう書いてよこしたのだった。

《元気だ、ギリシアの難破船の船長の話をきいたんだが、かれは航海日誌の最後にこう走り書きして死んでいた。イマ自分ハ自分ヲマッタク信頼シテイル、コウイウ気分デ

嵐ト戦ウノハ愉快ダ。そこできみはオーデンのこういう詩をおぼえているかい? いまおれはそのことを考えている。

   危険の感覚は失せてはならない。
   
   道はたしかに短い、また険しい。

   ここから見るとだらだら坂みたいだが。

それじゃ、さよなら、ともかく全力疾走、そしてジャンプだ、錘(おもり)のような恐怖心からのがれて!》